開発者紹介
開発者 兼 最高経営責任者 斉藤政夫(マサオ斉藤)の素顔
開発者 兼 最高経営責任者、齊藤政夫は、1968年に独立して以来、さまざまなシーンで、オーナーとして、化粧品開発に携わり、マネージメントから企画まで、多彩にこなしている。美容師『マサオ斎藤』としての顔を持ち、また、北海道から沖縄まで、多くの美容師も教育してきた。皮膚科学、医学を独自で学び、全国病院学会では『美容師の手荒れ』というテーマで、講演もしている。独学なのにもかかわらず、その医学的知識も豊富である。1983年には中国、シンガポール、韓国でヘアショーを開催。日本でも各地でヘアショーを開催してきた。また、神奈川県のTV局ではおしゃれトーク番組の司会を1年間担当したこともあるというバイタリティー溢れる人物である。
マサオ斉藤の著書
開発者挨拶
私は、美容師さんにパーマやカラーの技術を指導する立場の美容師ですが、自分のサロンで大切なお客様にパーマやカラーのサービスをする時には一人一人のお客様に喜んで頂きたいという思いで、心を込めて仕事をさせて頂いております。
生涯現役の美容師であり続けるという意識のもとに、美容師さんにセットレスパーマを指導しながら新製品の開発に力を入れて行きます。
生涯現役の美容師であり続けるという意識のもとに、美容師さんにセットレスパーマを指導しながら新製品の開発に力を入れて行きます。
開発者略歴
1959年 日本石油精製株式会社へ入社 (石油化学を学ぶ)
1964年 日本石油精製株式会社を退職 美容の道へ進む
1966年 国家試験に合格し美容師免許を取得
〃 神奈川県美容選手権1位入賞
1968年 24歳で戸塚・上飯田に美容院「ビューティーまさおの店」を出店
1971年 27歳で関内に美容院「友喜美粧」を出店
◆パーマで髪が傷むのを逆転の発想でパーマでトリートメントをするシステムを研究、開発
◆全国から髪のダメージで悩むユーザーが友喜美粧へ殺到
◆ラジオ関東でトーク番組のパーソナリティーを担当
◆テレビ神奈川で「コアフュール620」のパーソナリティーを担当
◆海外各地でヘアショーを開催
◆戸塚・万騎が原に友喜美粧を出店
1997年 友喜美粧を関内から新横浜に移転
2004年 「日経ビジネスAssocie」で齊藤の書いた記事『2050年全人類がハゲに!?』が紹介される
2015年 友喜美粧を新横浜から天王町に移転
現在に至る
1964年 日本石油精製株式会社を退職 美容の道へ進む
1966年 国家試験に合格し美容師免許を取得
〃 神奈川県美容選手権1位入賞
1968年 24歳で戸塚・上飯田に美容院「ビューティーまさおの店」を出店
1971年 27歳で関内に美容院「友喜美粧」を出店
◆パーマで髪が傷むのを逆転の発想でパーマでトリートメントをするシステムを研究、開発
◆全国から髪のダメージで悩むユーザーが友喜美粧へ殺到
◆ラジオ関東でトーク番組のパーソナリティーを担当
◆テレビ神奈川で「コアフュール620」のパーソナリティーを担当
◆海外各地でヘアショーを開催
◆戸塚・万騎が原に友喜美粧を出店
1997年 友喜美粧を関内から新横浜に移転
2004年 「日経ビジネスAssocie」で齊藤の書いた記事『2050年全人類がハゲに!?』が紹介される
2015年 友喜美粧を新横浜から天王町に移転
現在に至る